皆さまこんにちは!hanamaruといいます。
福島県南部の神社やお寺には魅力的な狛犬がおります。
厳しさや優しさを感じる表情豊かな狛犬たち。
歴史や石工たちの思いを馳せながら、夫婦で狛犬めぐりを楽しんでいます。
寅吉の代表的な作品の一つで歌碑を囲む石柵を見に行きます。
どんな石像物が待っているのでしょうか?
新地山羽黒神社参道~福島県白河市借宿白旗~
県道11号線白河石川線を石川町方面に走るとコンクリートブロックが続くところがあります。
ゆっくり通らないと入り口を見落としがちです。
こちらの階段をのぼると羽黒神社参道の鳥居があります。
装飾された大きな大きな石燈籠
新地山羽黒神社には石燈籠や狛犬、歌碑を囲む石柵と多くの作品が奉納されています。
まず、階段をのぼると右手に豪華な装飾の石燈籠がそびえ立っています。
四段の台座の上には碁盤のような丸い脚の台が載り、その上には波と亀さらに上には龍、てっぺんの傘の上にも何か載っていますが下からは判別できません。
台座にはたくさんの寄進者の名前があり、銘は刻まれておりませんが工房に対する多くの方の信頼度とそれに応える作者の心意気がわかります。
小松寅吉作の狛犬~1893年
鳥居の前には立派な台座の上に堂々とした狛犬が奉納されております。
明治26年9月 福貴作 石工 寅吉作
小松寅吉が49歳、小林和平は12歳
弟子入りし福貴作工房を手伝い始めたころかもしれません。
白河楽翁歌碑を囲む石柵
新地山羽黒神社の参道口には白河藩の藩主であった松平定信が隠居してから作った歌の歌碑があります。
世々へても 心の奥に通ふらし 人忘れずの山の嵐は (白河楽翁)
松平 定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代中期の大名、老中。陸奥国白河藩の第3代藩主。定綱系久松松平家9代当主。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫。1787年から1793年まで寛政の改革を行った。
ここ、新地山羽黒神社の参道口には狛犬や龍が巻き付いた巨大な石燈籠など寅吉の作品が奉納されております。
しかし、歌碑の制作を依頼されたのは実績を残している寅吉たち工房福貴作ではなく東京の名門石屋『井亀泉(せいきせん)』でした。
新地山羽黒神社には寅吉が造った狛犬や石燈籠が奉納されていますが、歌碑ではなく歌碑を囲む石柵の注文だったのです。
ところが、あたりを見ますと石柵ばかりが目立ちます。
石の扉の両面には龍や虎、竹、松などが透かし彫りで彫られています。
また、足元には兎やにわとりも…
牡丹や菊の花もあります。
芸術的な彫刻は世界的にも有名なロダンの造った『地獄の門』のようです。
1800年後半に遠く離れたフランスのロダンの作品と同じようなデザインを考えた寅吉はやはり天才ですね👏
地獄の門(じごくのもん、仏: La Porte de l’enfer)は、叙事詩に登場する内容、及びそれをテーマにして制作されたブロンズ像である。
石柵の内側には扉を押さえるように逆立ちした狛犬がおりました。昔、宮中では屏風を押さえるために狛犬を置いていたそうです。
新地山羽黒神社の参道入口にはたくさんの石像物があったね!
神社の境内まではかなり距離がありそうだよ~
参考文献:改定新版 神の鑿 version9
まとめ
新地山羽黒神社の参道には、小松寅吉の作品がたくさん奉納されておりました。
寅吉はよく『木に彫れるものは石にも彫れる』と言っていたそうです。
寅吉の才能を余すところなく表現した場所が新地山羽黒神社の参道をぜひ多くの方に訪れてただきたいと思います。
アクセス
駐車場がありません。
後ろ脚を蹴り上げ雲に乗った迫力ある狛犬はこちらを御覧ください。
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