皆さまこんにちは!hanamaruといいます。
福島県南部の神社やお寺には魅力的な狛犬がおります。
厳しさや優しさを感じる表情豊かな狛犬たち。
歴史や石工たちの思いを馳せながら、夫婦で狛犬めぐりを楽しんでいます。
高遠藩出身の旅石工 小松利平が浅川町に移り住み県南地方の狛犬美術が盛んになりました。
利平の人生を振り返りながら八槻都々古別神社の狛犬を見てみましょう!
工房石福貴 石工 小松利平
これは、棚倉町にある八槻都々古別神社に奉納されてる狛犬です。
高遠藩の旅石工 小松利平が福島の地で数々の名品を造っていった訳を探っていきます。
旅石工 小松利平
高遠城を居城とする高遠藩の高遠石工は、源頼朝から代々石細工職人として国内で仕事ができる許可もらい、全国各地で石仏や石塔、石橋、鳥居などの様々な石造物を造っておりました。
利平は1804年、長年続いた石工 小松家の二男として信濃国伊那郡(現在の長野県伊那市)に生まれました。
利平も石工として修行し腕を磨いていましたが、藩の財政が厳しく、農家の二男以降に生まれた男子は旅石工として出稼ぎに出て、稼いだお金は藩に納めなければなりませんでした。
出稼ぎに出てていた利平は福島県浅川町で彫りやすい良質な石(福貴作石)と出会い、まわりの評判も良かったことから藩には戻らず工房を開いたようです。
当時は出稼ぎに出た石工を取り締まる「石切目付」が職人を厳しく管理し売り上げを取り立てていました。
利平も石切目付に見つからないように仕事をすることは大変だったことでしょう。
工房『石福貴』
利平の確かな技術力と信頼性は多くの人に認められ人気がありました。
しかし、石切目付に見つからないように仕事を進めていくために最新の注意を払いながら、作品にも生涯名前を入れることはしませんでした。
そのため利平の作品だと断定できるものはなく作品の出来栄えや神社との関係、奉納帳などからの背景からの推定になります。
利平の工房には、のちに小松寅吉が弟子入りし年季明け後は数々の名作を残しました。さらに、寅吉に弟子入りした小林和平もまた技術を受け継ぎ狛犬彫刻を芸術にまで高めていきました。
参考文献:日本狛犬図鑑05 小松利平 小松寅吉 小林和平
著者 たくきよしみつ
私のイメージです。
それでは、小松利平が造ったと推定される奥州一宮 八槻都々古別神社の狛犬紹介します。
奥州一宮 八槻都々古別神社の狛犬~福島県棚倉町~1840年
清々しく厳かな雰囲気の奥州一宮 都々古別神社。
同じ棚倉町に都々古別神社が2社ありますので八槻都々古別神社(やつきつつこわけ神社)と呼ばれています。
小松利平の狛犬
境内には銘は刻まれていませんが小松利平が造ったと推定される狛犬が奉納されております。
この狛犬は、阿形と吽形の顔が全く別の個性的な姿をしています。
吽形の台座には大勢の寄進者の名前が刻まれています。
さらに進むと赤門があります。
覗いてみるとこんな顔の狛犬さん。
境内には「夫婦杉」もありました。
社務所では御朱印もいただけるよ。
また、狛犬マップもいただきました。
ありがとうございます!
狛犬めぐりマップについて
福島県県南地方狛犬ネットワークが作成したマップには24か所の狛犬や石像物が地図とともに紹介されています。
狛犬めぐりの必需品です。
詳しくはこちらをご覧ください。
まとめ
高遠藩の旅石工だった利平が脱藩し福島県浅川町に移り住み工房を開いたことから始まる県南地方の石造り文化。
高い技術と信頼が、大勢の協力者の心をつかみ仕事をしやすくしてくれたのでしょう。
奥州一宮 八槻都々古別神社には小松利平が造ったと思われる狛犬が奉納されておりました。細かな造形や作風は工房の弟子たちに受け継がれ県南地方の石造り文化を盛り上げていきました。
アクセス
鳥居前に駐車場がありますのでゆっくりお参りできます。
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